■楽しくどつぼから這い上がってきた
「ペンション自給自足」。あまりにストレートなネーミングが人目を引く。場所は宮津市木子。国道から山を登っていった最後の集落だ。
経営するのは勅使河原さん一家。平成元年に大阪から移住して就農し、その後、「ありとあらゆる」ことをしながら家族総出でイチから作り上げてきた。
その苦労は計り知れないと思いきや、道子さんは、「楽しくどつぼから這い上がってきた。つらいつらいでは日が暮れるばかり」と笑う。見栄をはらないのがモットーだという。
■山は山なりの農業を
移住のきっかけはご主人の経営していた会社の連鎖倒産。次は自然の中で生きたいと思って就農を決心し、京都府農業会議に相談。木子の近くの集落である上世屋の牧場主の紹介をたどって、この地への移住を決めた。
当時、大阪で教師をしていた道子さんと、子ども4人の家族6人で移住。木子の国営農地で農業指導を受けながら、ジャガイモや大根などの栽培を始めたが、次第に、「一般的な野菜は大阪でも作れるもの。こんな地理的に不利な山奥で、よそと一緒のものと作っても競争できない」という思いが強くなっていった。
農薬や化学肥料を使って「自然の循環を壊す農業はしたくない。山間部は山間部なりの農業があるはず」、と考え、合鴨、羊、養鶏、そばなどいろいろなことを試み始めた。試行錯誤の5年間を経て、思いついたのがペンションだった。
外国では牧場で宿泊したりといった、農業と民宿のようなものが一緒になっているのが当たり前だということを本で学んだからだ。しかし、当時は専業農家。ペンションと農業というスタイルを農業委員会で認めてもらうことは一筋縄ではいかなかった。
■客が来ないなら自ら出向く
まず、ペンションの売りにしたのが「そば」。集落で多く栽培されていて、手もそれほどかからない自然の作物だからだ。しかし、ペンションを建てたからといってすぐに客が来るわけではない。
そば饅頭やそば団子などの加工品もつくり、土産物屋に卸したり、そばの行商に出たり、祭りにそばや焼き鳥、冬場はぜんざいなどの屋台を出し、昼間は食堂もした。
「待つことは立場が弱くなるからしない」という道子さん、行商や出店で売りにいく中で、次第に宿泊客も増えていった。今は収入の大部分が宿泊での売り上げだ。
畑では、宿根そば、うど、たらの芽、ぎぼし、こごみ、シソ、ふき、菊芋など、山ならでこその作物が植わる。「手間隙をかけずに育てられるもの」だけで、それらはすべて、宿泊客や食堂での「里山料理」の材料として使われる。
■無農薬村を
一家総出でやってきたペンション経営。「家のお手伝いの方が勉強よりも大事」と子どもたちに断言した道子さんの教育方針は「勉強よりも生きる力を身につける」ことだ。そんな子どもたちも成人し、ペンションも人気の宿として定着した。
今の夢は「この村を無農薬村にすること」だ。そうすれば村そのものがブランドとなり、人も増え、村も活性化するに違いないと考えている。どのように働きかけていくかは難しい問題。「韓国のように、国が無農薬での農業に補助をだせばもっと広がるのに」と提案している。
●アドバイス」
楽しく暮らすがモットーの道子さんだが、移住を考える人たちに対しては「夢だけではいけない。現実は厳しい」と警鐘を鳴らす。「定着できない若い人たちは楽をしようとしてきているからではないか」とも分析する。厳しい面もしっかりと認識し、生活の基盤ができるまでがんばることだ、という。
(2007年5月掲載)
(豊田玲子 記)
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