|
[ No.1]
【共生への一歩】
都会が奪っていったもの

茂山あきら
大蔵流狂言師(京都塾アドバイザー)
9月のはじめ、まだ夏の情熱が残っている内に府下の北部の町、丹後町を訪ねた。
町内の矢畑地区に絶えて久しい芸能「三番叟」を復興させてはという事についてのアドバイスをせよとの京都塾からの依頼だ。
狂言の役者であるボクにとっては三番三(狂言、大蔵流ではこう書く)は年の始めやおめでたい時には必ず演じる曲である。現地へ着いてみると、やはり若者が少ない。話を聞くうちに、先祖から受けついできた三番叟を、御多聞に漏れず後継者が少なく、ここしばらくは中止せざるをえなかったとの事。自分たちの文化のルーツでもある郷土芸能を残さねば根無し草になってしまうという地区の人々の熱い気持ちで、10月には無事、再興がかなったとの事。まずは目出度い事だ。
話し合いで夜も遅くなった頃、帰路の車を走らせる。道の傍らには大きなマンション風の建てもの。窓には灯火が一つも無い。気を付けて見ると、どうもリゾートマンションのようだ。例の「金余り」の時の遺産である。空には夏の星座から秋の星座へ移ろうとする満天の星。青々とした木々の香りも美しい。収穫を控えた稲は、その頭を垂れようとしている。
「堂々とした自然」だ。
この自然に灯火を消した廃虚のようなコンクリートの塊はあまりに似合っていない。
8月のおわり頃までは、マンションの窓にも、おそらく灯がついていたことも少なくなかっただろう。秋の連休の頃には又、灯がともるかもしれない。しかし、年間、窓に灯がともる夜は30日を越える事は無いだろう。
共生とは、共に生きる事である。イソギンチャクとヤドカリのように、ある時は敵から身をかくす盾となり、ある時はその動きから食の補給に預かる。共存共栄である。
どうも都会は田舎に寄生をしているらしい。地方から食物、景色、人間を奪って、そのお返しは何だったんだろう。
都市と農村が共に生きていくのは難しい。
しかし、現在いまそれを、我々がやらなければ、来世紀は来ないかもしれない。
人為の作りものはもういらない。
自然の「めぐみ」について都会人も農村人も深く考えねばならない。
■プロフィール
1952年(昭和27年)、狂言師茂山千之丞の長男として京都に生まれる。祖父千作、父千之丞に師事し、3歳で初舞台。従兄弟、茂山正義、真吾、千三郎とともに「花形狂言会」を主宰。多才な演劇人千之丞の影響をうけ、TV、ラジオ、新劇、実験劇に参加。狂言の大衆化に力を注いでいる。
|