[ No.2]

内発型地域経営への挑戦(1)

―綾部市奥上林地区での取り組みから―

 過疎と高齢化に悩む中山間地の村、特別な資源があるわけでも、特別な人がいるわけでもない。しかし、ユニークな手法で都市住民との交流を軸に活路を見出してきた村、外来型の大型観光開発が行き詰まりを見せる中、行政からの支援をテコに内発型地域経営の道を選択した村――どこにでもありそうな、小さな村での地域づくりへの挑戦の足取りを追ってみた。

(文:京都塾アドバイザー 高橋光雅)

明るく立ち上がった村人たち

 京都縦貫道路の終点となっている丹波町須知から国道27号に入って30分ほど由良川沿いの道を走ると山家(やまが)の集落に差し掛かる。上林川が由良川に合流する綾部市山家地区は、これから向かう上林の村々の玄関口にあたる地点である。国道を離れ、山が迫る谷あいの道を登り切ると、右手を流れる上林川と道路の間にわずかながら水田が広がり、緩やかな勾配に変わる。途中、旧村のシンボルでもある口上林・中上林の二つの小学校を通過し、山家から20分くらいかかって目的地である奥上林地区の睦寄町に到着した。
 車を止め、いま走ってきた府道綾部小浜線の道端にたたずむと、時おり山鳥の泣き声が聞かれるだけ。山里の静けさと澄んだ空気の中で、時間が止まってしまったような感覚におそわれる。

拠点ゾーン

■村人たちの叫び

 綾部市東部に位置する奥上林地区が綾部市に合併されたのが昭和30年、その時の村の人口は2,600人余りだった。その後減り続けた人口は、昭和50年には半分に、昭和60年には約1,000人となった。昭和40年代には日東精工の下請け工場が10軒近くあり「ネジの町」と言われたこともあるが、それも閉鎖された後は、農業だけで地域経済を支えることはできず、通勤生活が一般的なライフスタイルとなった。人口が減って高齢化ばかりが進む。
「将来、地図上には奥上林という名前は載っていても、草ボウボウの田畑と苔むした家しか残っていないような、地図の中にしか残らないような村になったらどうしよう。先祖から預かった土地を何とか自分たちが守って、ゆくゆくは子どもたちも戻って来てくれるような村にしようじゃないか」――ある会合で自治会の役員の一人が発言したこの言葉は、同じ思いに悩む村人たちの心を激しく打ったと聞く。
 このような閉塞した村の実態と村人たちの叫びとも聞こえる熱い願いの中で、奥上林地区で村づくりの動きが活発となったのは昭和60年前後からとみられる。

■元気を生んだミニ独立国の誕生

村役場
ミニ独立国 仁王の村役場
 その一つのきっかけが、昭和57年に村の有志で始められた『ミニ独立国・仁王のむら』の活動である。当時、井上ひさしの小説「吉里吉里人」に触発されて全国各地にミニ独立国が誕生していた。そのブームに乗ったものとは言え、ユニークな建国精神は村人たちの元気度アップが最大の目的であった。そして昭和58年からは、村民登録制度による都市住民との交流――年1回の「ふるさと交流会」と年3回村の特産品を送り届ける「味便り」――が開始され、15年経った現在まで事業規模を拡大しながら続けられている。
『仁王のむら』の活動は、当初訝しげな目で見られることも多かったと聞くが、自立の精神を実践で示したことと、その結果、多くの人たちが奥上林を訪れるようになり、地区外からも注目を浴びるようになった。このことは村の人たちの心に衝撃と自信のようなものを与えてきたことは否定できない。そして奥上林地区でのその後の村づくり運動に、目に見えない形で弾みをつけることになる。

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