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[ No.2]
内発型地域経営への挑戦(1)―綾部市奥上林地区での取り組みから―過疎と高齢化に悩む中山間地の村、特別な資源があるわけでも、特別な人がいるわけでもない。しかし、ユニークな手法で都市住民との交流を軸に活路を見出してきた村、外来型の大型観光開発が行き詰まりを見せる中、行政からの支援をテコに内発型地域経営の道を選択した村――どこにでもありそうな、小さな村での地域づくりへの挑戦の足取りを追ってみた。 (文:京都塾アドバイザー 高橋光雅)
明るく立ち上がった村人たち車を止め、いま走ってきた府道綾部小浜線の道端にたたずむと、時おり山鳥の泣き声が聞かれるだけ。山里の静けさと澄んだ空気の中で、時間が止まってしまったような感覚におそわれる。
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■村人たちの叫び綾部市東部に位置する奥上林地区が綾部市に合併されたのが昭和30年、その時の村の人口は2,600人余りだった。その後減り続けた人口は、昭和50年には半分に、昭和60年には約1,000人となった。昭和40年代には日東精工の下請け工場が10軒近くあり「ネジの町」と言われたこともあるが、それも閉鎖された後は、農業だけで地域経済を支えることはできず、通勤生活が一般的なライフスタイルとなった。人口が減って高齢化ばかりが進む。「将来、地図上には奥上林という名前は載っていても、草ボウボウの田畑と苔むした家しか残っていないような、地図の中にしか残らないような村になったらどうしよう。先祖から預かった土地を何とか自分たちが守って、ゆくゆくは子どもたちも戻って来てくれるような村にしようじゃないか」――ある会合で自治会の役員の一人が発言したこの言葉は、同じ思いに悩む村人たちの心を激しく打ったと聞く。 このような閉塞した村の実態と村人たちの叫びとも聞こえる熱い願いの中で、奥上林地区で村づくりの動きが活発となったのは昭和60年前後からとみられる。 ■元気を生んだミニ独立国の誕生
『仁王のむら』の活動は、当初訝しげな目で見られることも多かったと聞くが、自立の精神を実践で示したことと、その結果、多くの人たちが奥上林を訪れるようになり、地区外からも注目を浴びるようになった。このことは村の人たちの心に衝撃と自信のようなものを与えてきたことは否定できない。そして奥上林地区でのその後の村づくり運動に、目に見えない形で弾みをつけることになる。 |
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