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[ No.3]
【共生への一歩】
心の風景

室谷知子
フローラルアーティスト(京都塾アドバイザー)
「農村」という言葉は、私に懐かしい風景を思い出させてくれます。
幼いころを過ごしたところは「農村」とは言えないまでも、学校帰りには田んぼでレンゲを摘み、蛙を追いかけて散々道草をして帰るという、今思うと夢のような幸せな生活を送らせてくれました。その後9歳のときに大阪の中心部へと転校し、そういう生活はできなくなりましたが、時々なにかの拍子にかつて自分がいる懐かしい風景が浮かぶのです。
自身のことばかり話題にして恐縮ですが、私は現在「フラワーデザイナー」または「フローラルアーティスト」の肩書で仕事をしています。色々な花と緑を生活のなかに取り入れて楽しむ方法や、そのための基本的な植物とのつきあい方を提案するといった仕事です。切り花を扱うことが多いですが鉢物や苗も材料として使います。まるで子供のころにしていた道草を今もしているような錯覚を覚えることがあります。もしや私はあの楽しさが忘れられなくてこの仕事を選んだのではないかと思うくらいです。現実の仕事場は都会の真ん中や建物の中に植物のある風景をつくり出す、または持ち込むというものが多くなります。たとえ鉢物や切り花になっていても、花や緑に囲まれてする仕事は私には楽しいものですし、またそういったテーマを意識した作品やディスプレイは都会で暮らす人には概ね好評で、心が落ちつく、懐かしいと言ってくださる方がおられます。もっとも私自身には、本物ではないという後ろめたさがついてまわっているのですが。
都会へ引っ越してきたときの戸惑い、隣にいて当たり前だった遊び相手の「自然」が急に消えてしまったような心細さ、たよりなさは今も私のなかに残っています。そして建物の中に自然を意識したディスプレイ等をしたときに共感を持たれる方が多いということは、都会に住む人の多くが同じような心細さ、たよりなさを感じているのではないかと思うのです。そして「農村」や「いなか」に一種の憧れを抱いてしまうのではないでしょうか。でも、実際に農村で生活している方々にしてみれば、勝手にイメージをつくってもらっても困るとおっしゃることでしょう。もし、私のような勘違いをした来訪者が皆さんとお近づきになる機会がありましたら、ご面倒でしょうが決して甘やかさず、でも少しだけ辛抱して「生活」のルールを教えてください。昔、コマーシャルで「都会には何でもあるが、な〜んにもないなぁ」というフレーズが使われていましたが、本当に都会には「生活」すら無くなりつつあるようです。「農村」にはしっかり「生活」があります。それに気づくたび、私は自分のあやふやさを反省させられ、同時に安心感も与えられ、そしてあの懐かしい風景が呼び起こされるのです。
■プロフィール
1959年3月4日生まれ。1983年、甲子園短期大学家庭園芸助手として勤務。1986年、甲子園短期大学退職。1986年、(株)フラワーケーション勤務。1990〜97年、奈良県農業大学校非常勤講師。1995年、NHK「趣味の園芸」講師。1997年3月、(株)フラワーケーション退職。各地にて講習会・講演会を行う。
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