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[ No.5]
火をつけた徹夜の雑談。和束に根づくか 「開墾太郎」
和束町(2)


摘み取り後、トラックで運び込んだお茶を袋から取り出し、燻蒸装置へ移す。
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和束から戻った学生たちは、「雑談」の成果をもとに、早くも翌月動き出した。手塚さんを代表に、7人のメンバーで「開墾太郎」と名付けた和束のまちづくり応援団を結成。杉本さんらの「わづか有機栽培茶業研究会」と手を組んで、次のような活動をめざした。
- 有機栽培茶の販路拡大
- 和束町白栖共同製茶組合のホームページ作成請け負い
- お茶を利用した新商品の開発・売り込み
- 農作業の援農団づくり
最初から順風満帆に運ぶなんて、まず考えられない。だが、脈のありそうなものはあった。
白栖共同製茶組合の和束茶をインターネットに載せて全国に紹介した。和束茶の新しい利用法として、「お茶風呂」「お茶歯磨」といったアイデアはどうか。ネーミング、デザインは。どうすればヒットするか、の提案募集も。だが、和束茶は、他産地産とブレンドされて、全国に冠たるブランド「宇治茶」の中に埋没してしまっている。和束茶の知名度は、宇治茶の陰に隠れて高くはないのだ。だからインターネット上に和束茶の名前が出ても、関心をひくわけでない。展示即売がすぐに効果を上げるわけでもない。藤田・町産業経済課長によると「インターネット上には、全国何十というめぼしい茶産地のブランド名が出て、しのぎを削っている」という。和束茶を売り込んでいくには、地道で根気強いPRしかあるまい。
こうした中、確かな手ごたえの持てたものがあった。山里に新風を吹き込んだのは、学生援農団だ。「開墾太郎」のメンバーが農家に入って、農作業を手伝う。その一方、大学の学生相談所や口コミを通じてアルバイトを募集。5、6月の茶摘み時には、京都産業大、立命館大、同志社大、近畿大、関西学院大、神戸大などの学生延べ33人が7戸の農家に入った。初めての農作業に戸惑いながらも茶葉の積み降ろし作業、袋詰め、コンピューター管理、工場の掃除などに大車輪の活躍。急勾配の茶畑での作業は、高齢化した農家にとってひと苦労だったが、摘み取った茶葉の運び出しにも、助っ人の力が役立った。これに先立って、3月にはお茶の苗木植えも手伝った。
農家にとっては若い力はありがたい。今年もぜひ来てほしい、という声がさっそく上がり、予約もすでにある。
ここ、和束というところ、伊賀に向かう163号線をそれる三叉路に「山の家4km、運動公園4km、鷲峰山7km」の標識。すぐそばに「ゴミ焼却場絶対反対 ダイオキシンのふる町は死因の50%がガン」と、のどかな農村に不似合いな大看板。
点在する家々を取り巻いて、畳々と山並みが連なる。その山肌のそこかしこに茶畑が広がって、冬ざれの木々の中に濃い緑の帯が頂上へ、谷へと幾重にも伸びる。純朴な、田舎らしい田舎、と見えるが、村に残る高齢者が、こうした傾斜地に取り付いて作業する姿も二重写しになって目に浮かぶ。
ここに、学生援農の若い力が根付いて、さまざまなアイデアを発信してくれたら、と願う。それには行政の後押しも欠かせまい。
和束の美しい自然と相まって、将来に期待が持てそうな気はするが、高齢化、環境問題といった圧力もひたひたと。それ程、悠長な時間は残されていないのかも知れない、とも思う。
「開墾」次郎、三郎に期待――「開墾太郎」手塚太郎代表の話

お茶摘み作業後、学生たちのご苦労さまパーティー (コミュニティーリバー親水公園で)
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――成人式をこの程迎えたばかりなんですね。和束で活動を始めた動機は。
小学5年から中学3年まで、米国・ウエストバージニア州にいました。炭鉱を中心に栄えたこの町もさびれて人口が減り、失業者やホームレスなどの貧しい人が急増して、町は活気をなくしていました。日本の農村の今に重ね合わせて、和束でなにか協力できれば、という気持ちでいます。
――なぜ「開墾太郎」という名を。
私たちでやれる仕事は限られています。和束の「開墾太郎」を皮切りに、全国各地でさまざまな人たちが「開墾次郎」「開墾三郎」として活躍してくれることを期待しています。
――和束の印象は。
旅行が好きで、各地を回りましたが、和束のお茶農家は、やる気があって大変活発です。各農家それぞれ “わが家のお茶”を誇りに品質を競い合っているのが素晴らしいと思います。行政の対応も杓子定規でなく、融通が利いて協力的なのが嬉しい。
――活動を線香花火で終わらせないためには。
和束にかかわって勉強、趣味の面でもやり甲斐を感じています。出来ることなら将来は行政の面から、こうした問題と取り組んでいきたいと思っています。
(取材/玉岡 博匡)
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